手放せないモノを見れば、その人の「恐れ」や「こだわり」が分かる

物質も情報も感情も、循環させよう

モノの所有は少なくして丁寧に扱って長く使うのが理想だけれど、適度に循環させていくのが良いと思っています。

なぜかというと、物質であれば単純に摩耗するし、新しいモノ、特に店頭という表舞台に出て流通しているものには旬のエネルギーが内在していると感じるから。

それは物理的な「物」に限らず、情報や感情も同じなのです。

だからといって、むやみやたらに新しいものに飛びつくのをすすめているわけではありません。

欠乏感から選ぶものは大体後悔します。妥協点はその不足感を補うためにまた別のモノを求めてしまうのです。

本当に惚れているかどうか

モノの購入は、人間関係と同じであるというのが、持論です。

本当に自分が惚れたものだけを買うならばさほど「物」は増えないはずであり、自分自身との齟齬も生まれないから似合わない、しっくりこないということはないはず。

同様に、まわりにいる人間と摩擦ばかり起こる人は、「本来の自分」を隠してふるまっているのでしょう。

とはいえ、雑多な人間の集まりである会社のなかでの人間関係は、また別の要因も絡んできそうですが。

己を知ること!

そうなると、外界でモノを求める前に、まずは己を知ることが肝要であることに気づくはずです。

己を知らずに視覚にはいるものに惑わされた選択をしたとき、不協和音が生まれます。

それはなぜか。自分の純粋な部分が求める「本当にほしいモノ」ではないから。

モノの購入にかぎらず、その行動や選択に基づくものが「愛」なのか「恐れ」なのかを認識すると、おのずと答えは出るはずです。

着飾らないとバカにされるから?

不安だから買いだめ?

嫌われたくないからやりたくないこともやる?

所有しているモノを見れば、その人の「恐れ」がまるわかり?

散らかった部屋や着ない服であふれたクローゼットを見れば、すぐれた心理学者や超能力者でなくともその人のこだわりや恐れが判るものです。

これは、程度の違いはあれど、人間として生きる限り、すべての人が抱える課題なのではないでしょうか。

断捨離というものは、日々の生活で、恐れに基づいた行動や選択をしていないかどうか、今一度自分に問いかけることにつながるのです。

自分のなかで手放せないものは何なのか。恐れているものは何なのか。

自分のなかの弱さを直視しなければならないので、ハードな作業です。

断捨離というのは仏教用語ですが、まさに己と向き合う「修行」です。

なぜ、そのムダなものを買ってしまったのか?

なぜ、自分は嫌々あの集まりに参加しているのか?なぜ、もう使えないのに捨てられないのか?

定期的にセルフメンテナンスを

人は皆、純粋に自分が好きなモノへ自分のエネルギーを注いで生きていきたいはずなのです。

1日の汚れを流し、疲れをいやすのに欠かせない入浴のように、断捨離はセルフメンテナンスとして、自分のコアを愛でる作業として、日々おこなっていくことが幸せにつながっていると思っています。

1日1つからででも、身の回りのモノや習慣、人間関係などを見直す機会をもつと、少しずつ自分の住む世界が変わってくるはずです。

断捨離系の本だと、有名ですがこんまりさんの本が自分に合ってるかなーという感じでした。

(ジャンル的には「かたづけ」で断捨離ではないんだろうけど)


人生がときめく片付けの魔法

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