自分の責任で「選ぶ」こと

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なんだか最近、「ポジティブ」批判を目にします…。

えええ、ポジティブでいいじゃんよ。

こぞって批判するってことはそんなにみんな頑張ってポジティブしてたのか?そんなにポジティブがつらかったの?

私には昨今のポジティブ批判がワケワカメなんですけども、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

ポジティブもネガティブも、どっちも大切

いて座の私は、ポジティブがデフォです。ネガティブに弱いともいう。

いて座を燃やす「薪」はポジティブでできているのですよね。

私ももちろんネガティブな部分もあります。ポジティブとネガティブには善悪はないのですが、ネガティブは悪だと思っていたときもあります。

ネガティブ感情に蓋をしていたこともあります。そのあとネガティブ感情にとことん向き合ったときは、とても辛かったです。

でもそういうときがあったからこそ、今どっちも含めて「自分らしさ」として認めている状態が「統合」されていると感じています。

ポジティブもネガティブも経験してからじゃないと統合した状態にはたどり着けないんですよね。相対性の世の中に生きているのだからね。

自分らしさに、くつろぐ

ダメな自分がでてきたとき、「あ、私らしいな」って愛おしさを感じること。

つまり、そりゃネガティブ感情もダメなところもいっぱいあるんですけど、「だから私はダメ」と思うのか「それも自分らしさだよね」と思うのか、究極「そんな自分が大好き」と思うのか…の選択が「自由意志」なわけです。

最終的な選択がポジティブならそれはポジティブシンキングです。

え、そういうのムリ、って人は「リフレーミング」という技術が役立つかと思います。(NLPとかでググってみてね)

ネガティブ原動力系の底力は計り知れない

ちなみに、「私はダメ」だから努力するんだ!というネガティブ原動力系の実行力、達成率の高さは安定していますね。

「いやあなたダメじゃないんだけどぉぉ!充分スゴイんだけど!!」って言っても聞かず黙々と努力を重ねる人々…それはあなたよ、やぎ座さん。

だから憧れちゃうのだよ私は。

あー、またやぎ座崇拝記事になっちゃったじゃないか。

自己正当化のための他者批判

ポジティブ批判している人の全員がそういうわけではないんですけど、努力も重ねず「ポジティブになれなかったからって手のひら返して批判しないでよ」って正直思うのですよ。

ぶっちゃけ、ナンパして無視されたら「ブス!」って捨て台詞を吐くやつと同じレベルでしょ。

「ワタシにはできなかったよ」「やりかたをまちがったかも」「私が幸せになる方法はちがったから他の方法でいくよ」じゃダメなのかな。

なんで公共の電波を使って批判までするのだろうか。

自分が満たされていないからといって、他人を傷つけていいわけではないのは誰しもが知っていること。

だけど、残念ながら無自覚に自分に属さないモノを貶めることによって安心する人たちがいることは確かで…。

そして、私たちはいつでもそういうことをしてしまう危険と隣り合わせだから、そういう人を見かけたら「自分を気を付けよう」と顧みることが大事だと思うのですよ。

ポジティブでもネガティブでもどっちでもいいし、自分が選びたい方を選べばいいんですよ。

他人にそれをゆだねるから、あとで自己正当化のために批判することになるんです。

すべてにおいて、自己責任ってことで。

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