内省、内省、内省あるのみ。他者批判しても自分の状況は変わらない

過去のエントリにもよく書いてるネタなんですけども、自分の感情や行動に責任を持っていない人って面倒ですよね。って文字にすると「あーいるよねそういうやつwww」って思いがちなんですけど、ヒトである以上こういう状態になることは誰しもあります。

資格取得とか起業に向けて頑張る人を批判する人なんか、大体が劣等感を刺激されて嫉妬してるだけだし、単に自分ができなかったことを批判してるだけなのに自覚していない人も多いし(→自分の責任で「選ぶ」こと)。自分が嫌いなものや嫌いな人に対して「どうして嫌いなのか」を見つめてみると、案外「自己正当化」のためだったりするんですな。

批判の裏に隠れた、承認欲求と不安感

自分かわいさに、自分を承認、正当化してくれないものを嫌ったりさけたりするわけです。子供や若者がやってればまだカワイイもんだけど、いい大人がこれやってると本当にイタイ。というかもう、かなりいいお年をして「自分と同じ属性じゃないものは全部ダメな奴!」みたいな人って結構多くてビックリします。

ぶっちゃけ嫁姑問題の半分くらいはコレじゃないか?あと、「最近の若いもん」批判とかね。価値観の押し付けは迷惑以外の何物でもないわ。時代はどんどん流れて、その時流にふさわしいものだけが残っていくのですから。

もちろん同世代同士にも溝はありますよね。独身者と既婚者、子供がいるorいない、正規雇用とノマドとか…。多様な価値観やライフスタイルがあって、好きなように生きられる時代なのに、他人のことにまで口を出すのはやっぱり「これでいいのだろうか?」という不安があるからなんだろうね。他人の批判をするということは、自分に集中していないということなので、エネルギーの無駄遣いをしてるってことですしね。

しかしながら、それは他人事ではない

でも明日は我が身、ちょっと調子悪くなって気が弱くなると、人間こういう傾向にかたむくから気を付けなければいかんのです。「バンパイア」だって、自分が弱っているから他人からエネルギーを奪いたいわけで、人間だれしも弱ることはあるし、ちょっとしたことで無自覚に他人からエネルギーを奪っていることもあるんです。なにより、他人を落とすことで自分の立ち位置が上がったように感じるだけなので、批判して醜い顔をさらした分どちらかといえば自分だけが落ちてるんですけどね。

人間として社会活動をしていくうえでは、そういう人はやっぱり嫌われます。ある程度生きてくるとそういうのって見えてくるし、不思議なことに理由はわからずとも「なんか苦手~」って感じるものです。なんか変なもん出てるんだろうねww

内省と内観あるのみ

じゃあ具体的にどうしたらいいのか?というと、内省と内観しかありません。自分の中に「批判心」のタネを見つけたら、「自己正当化」していないかチェックしてみること。

ー 自分はその批判対象が存在することで、自分が否定されているような気分になっているだけではないか?

ー 自分の立ち位置が不安だから、相手を下げて自分を上げたような気になっているだけではないか?

ー 本当は自分を認めてほしだけなのに、認めてもらっていないという被害妄想から、相手を批判しているのではないか?

ー 自分が多くの時間を費やしてきたことに対して、それを否定されているような気持になっているだけではないか?

などなど。

そして感情レベルでそう感じ、思考レベルでそう考えた理由まで見つめていけると、よいですね。自分がなぜ「不快」であるかがわかり、敵の正体が見えるので安心します。「批判」の奥にある自分の思考、感情、信念を見つめてゆくことですね。

人生をより快適に生きるすべは、一度がちがちに作り上げた信念を壊してゆく作業のなかに見いだせるものなのかもしれないですねぇ。生まれたときは幸せだったのにね~、なんと時間のムダ、いやそれこそが人生のだいご味なのかな。

「自分に責任を持つ」ということは、「他人からの評価」に自分の価値をゆだねないことと同時に、「他人への批判」によって自分の価値を高めたような気になるのもやめようということです。自己責任で刈り取るべきものを、他人を批判することで刈り取ったような気になって、現状も変わらず、他人まで傷つけていいことないです。なにごとも自己責任でいきましょう~!

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