認められたいというより、役に立ちたい切望、というのがしっくりくる

今日は、自分が社会的にダメ人間だということを告白するだけの記事ですw

人間だれしも、自分の内面に何人かの立場があって、意見も真っ向から対立しあっていて、だけどそれを折り合わせて一人の人間が出来上がっていて、その内面の葛藤というかいくつかの思想的な対決は、外側からは見えないものなんだと思ってました。

今でもそう思ってますけど、どうなんでしょう?

んで、私は内面としては「社会不適合者」であって「常識的」な人間ではないと自覚していますが、常識的に振舞ったり、常識的な人間のように見せる術は知っています。(裏の世界どっぷりな人に「君はふつうだよー、大丈夫だよ」って言われた)

こういう問いかけをしたら、こう返ってくるだろう…と人々が予想しているものから外れないように、受け答えをするというのが、社会における「社交術」みたいなんだと思ってます。(内面や内心がどうであれね)

自分が自分らしい反応をみせたら、「普通」の人や「社会」では不安がられるし、どう対応していいかわからない=相手を困らせることになるので、安心できるテンプレ回答をする、みたいな。

それもうまくできなくて、変な目で見られることはあるのですが。(^^;)

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一つは感情表現なんですけど、本当にダメな奴だなーと自分でも思うんですけど、人になにかされても感情が動くことがあまりなくて、サプライズとかされても「別に…」って感じなんですねw

でも、どれだけの労力や時間を費やし、気持ちを傾けてエネルギーを使っていたかというのは理解できるので、そのお礼をするために「感動」します…。

相手が私に喜んでもらいたくてやった、ということは分かるので、喜んだ様子を見せるというか。お礼というのは、相手がほしい反応をするのが一番ですよね。

表情や、感情表現は「社交術」として身に着けたものであって、内面ではそんなに感情は動いてなかったりする…よくあります。

若い時に苦労したのはそれもあるんだろうと思うのです。いじめとか、私にとっては理不尽な要求もそう。

私にとっての行動の動機って善意と「面白そうかどうか」だけなんですよ…。説明してって言われてもわからんことが多い。(だからオファーに打算の含まれていることがわかると、失望してしまう)

誰かが亡くなっても悲しいと思わないし、悲しむもんだと教えられているから悲しまなきゃいけないのかなぁっていうだけであって…「死は魂の解放」ならばむしろ喜ばしいじゃないか?まぁ私とて喜びもしませんけど。

でも、これも普通?みんなそう?みんなそうだけど、黙って「社交術」を使ってるだけ?

しかしそれだと、巷にあふれるハートフルなドラマや映画などが説明つかないっす…。

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少なくとも私にとっては、自分が本当に感じていることを、口にできないのが世の中、みたいになってるんですよね。(言ってもいいけど、村八分になるよねっていうw)

中学3年のときと高校2年のとき、社会人になってからはプライベートなコミュニティなどで、度を越した天然キャラ枠として、ある意味自由に発言できてうれしかったのを覚えています。

でも、それでもイロモノ扱いですよね。

いくら学校の成績が良くても、仕事で成績を出しても、キャラが子供っぽくてアホすぎてバカにされちゃうんです。

上から目線で教えてあげる~みたいなことは決して言ってないですが、相手が知りたいことを私が知っているのに、アホな私から習うのが嫌みたいな反応をあからさまにされると、結構悲しいです。(相手も子供だったからそういう反応だったのかもしれませんが)

もうちょっと大人になってからは、そうみられないように質の良い落ち着いた服装をしてみたり、人が信頼するようなもの、常識などでそれこそ武装してw

そうやって「社交術」が一応うまくいっていると、世間一般で「普通」の感覚を持つ人間として、意見を乞われることは度々あったりするわけです。

「あいつの素行、どう思う?」みたいな会議に参加させられたり。

とりあえず、そういう意味では(内面はともかくとして)「常識」に照らし合わせたものの見方ができるだろう、というふうに認識されているわけですよね。

そういう場面では、自分は「常識的」な意見を問われているのだから、相手が望むような答えを出すのが「仕事」だったりしますけど、じゃあ本音のところはどうなんだろうか?と翻って考えてみると、まったく違ったりします。

あ、ちなみに、自分を正当化させたいための他人批判に関しては、勝手にやってくれよって思ってますw

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ところで、内面も曇りなく「常識的」な人もいるのかな?

そういう人は、きっと生きやすいのかもしれないけど、でもそんな人っているのかな?自分がそうじゃないから、そういう人がいるのかどうかわからないんです。

誰しも、本音と建て前は持っているものだし、それをうまく使えたり、それを「自分に嘘をつくこと」と捉えず「社交術」として活用している人には、別にツライもんでもないのかもしれないですねぇ…。

それが、社会に順応するってことなのかなぁ?

いつの世もマジョリティでいることが処世術かもしれないけど、そのマジョリティは今でもマジョリティなのだろうか?

もし、みんながマイノリティであることを隠してマジョリティを作っているなら、もはやマジョリティではないわけで…。

話は若干それますけど、「言っちゃいけないこと」「してはいけないこと」と認識していることさえ、自分が「世間ではこうだろう」と判断したものなわけで、実際に言っても大丈夫なことだってたくさんあるんですよね。

それこそ、TPOをわきまえれば。

自由に発言&行動していたころに、「それは間違ってる!」と理不尽な扱いを受けたことによるトラウマ(に自分がして)で自分ががんじがらめになってる、ってことなんだろうけどね。

くわえて、私は感情が直に入ってくるエンパスだったのもあって(自分と他人の感情&思考の区別がつかない)、カオスでしたけどww

まぁ、この記事で私のクソな内面を世間に認めさせたいわけでもないので、安心してくださいw自分がダメ人間なのは自覚してますw

でも、同じように感じている人がいたとして、その人がこの記事を検索で読んだりして、ちょっとでも気持ちが楽になったらいいなぁとは思うのです。

行動の99%がダメ人間でも、外に生み出す1%で誰かの癒しになれればいいなぁ、と格好つけたことはいつも考えてますw

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