言葉に関わる者の端くれとして、コミュニケーションスキルの低さを補おうとは…している

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私は言語マニアなので、いろんな言語をかじってます。

本当に、ほんの少しずつ、つまみ食い程度ですけど。

 

専門学校と大学では外国語を学習、研究してました。

主には文章を分解したり構造について考察するような、「言語研究」っていう学部でも最も地味な分野だったんですけど、コミュニケーションとか、異文化交流とか、国際問題とか、そういうのも含めて、やりたくないけど会話やディベートなんかも勉強してました。

 

学校の方針でTOEICは受けさせられたし、点数もどんどん上がっていって、会話も不得意ながら意思疎通には困らない程度にはなりました。

けど、やっぱりあんまり喋りたくなくて、文献を読むのに困らなければいいとさえ思ってました。

むしろ疲れるから、喋る仕事になんかつくもんかと思ってましたww

 

なので、「語学」というイメージだけで、通訳をしてくれ、会話をしてくれって言われるのが好きではありませんでした。

会話って言葉がわかるだけじゃ成り立たなくて、文化的背景や個人の性格も考慮した上で場を盛り上げなきゃいけないってなると、並大抵のコミュ力じゃやっていけないのは想像に難くはないかと思いますが。。

もちろん語学分野の人はだいたいそういう異文化コミュニケーション分野の勉強もしていて、よく知っているから…というところまで考えている人もいたかもしれません。

だけどねー、苦手なんだよね。性格的にw

どっちだろう。苦手だから、コミュ力のない性格なのか。コミュ力がないから、苦手なのか。まぁどっちもだろうな。

とはいえ…結局はその場になってしまえば、頑張って演じている自分がいて、後で自己嫌悪になるのパターンなのですな。

「自分らしくないことをした」と。

 

 

コミュ力があるというのは確かに、世の中をうまく渡るには役に立つ。

いわば、社会での「必須科目」かもしれない。

だけど、それを強要されているように感じてしまうのは、自分にコミュ力がないからで、そう振舞おうとすることが自分らしくないと感じているからなんだろうw

余談ですけど、特にジェンダー的に「こういうもんだ」と押し付けられた(と感じる)ものはどうしても昔から抵抗があった部分だったりします。

だけど、それができたらどんな人生だっただろう?と考えてみることもあります。

でもきっとその場に戻ってもできなかっただろうと思うw

 

 

苦手、苦手っていうけれど、コミュニケーションや、伝達、表現方法について考えることは好きだし、例えば人間の心理や脳の仕組み、人間という生き物の特徴から割り出せるような「答え」を出すこともできます。(語学よりも好きかもしれないけど、語学をやっていたから興味を持てた分野でもあります)

語学なら、例えば経験から効率のいい「TOEICの点数の上げ方」なんかもわかる。

しかーし、困っている誰かのためになるならアドバイスはいくらでもするけれど、自分がやるのは嫌なのだw

方法はわかっていても、やりたくない。

 

もしかすると、医者の不養生っていうのも、似たようなものなのかもしれないね。

私はお医者さんのように尊敬されたもんじゃないけど。

 

つまるところ、私は人間は好きではないけど、人間について言語的、コミュニケーション的な観点から研究するのは好きってことに落ち着くのかもしれない。

知的興味関心があることと、感情的な愛憎は別として。

きっとこれからも、多分死ぬまで、人間についていろんなアプローチで研究していくのだろうけど、あくまでも研究・考察対象であって、好きになりたいからではないんだよなぁ。

言ってしまえば、占星術だってその一つだった訳で。

そういう人、意外に多いんじゃないかなぁと思うのだけど、どうなのでしょうね。

私に関しては、自分を含み人間に苦しめられることが多いから、感情的な関心もないわけではないけれど。

 

だからといって、例えば、婚活アドバイザーが未婚とか、離婚経験者とか、バツ3だとか、不倫してるとか、まぁ要は客にぴったりの結婚相手を紹介できるならどうでもいいじゃないかとは思いながらも、「大丈夫かよ」ってなるのは人情だろうなーと思うw(私だってもし婚活してたらそう思うだろう)

専門家が、必ずしもその専門で「成功」してなきゃいけないわけじゃないけど、一つの指標として、心理的な不安感を拭ってあげるのも、看板を背負ってやってく者の務めじゃないかなーなんて思うのです。

我々は社会的な生き物だからねぇ。

 

だから今日も私は友好的であろうとするのです。。