YANEURA BEYA

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YANEURA BEYAへようこそ。

埃っぽくて狭苦しいところですが、心ゆくまでくつろいでいってくださいませ。

以下、YANEURA BEYAの起源と歴史をつらつらと。

このサイト、ホームっていうページが作られてしまうので、仕方なく書いてます。

よく覚えていないのだけど、たしか2015年の春頃だったと思う。

自分の内面を見つめようと思って、夢日記を書くために無料ブログを立ち上げた。

それが、YANEURA BEYAのはじまり。

うちの実在した屋根裏部屋は。

南向きの小さな窓から差し込む光に、古い本や父のノートが重ねられている、家の中で一番高いところにある部屋だった。

窓の下には小さな作り付けの、ひきだしのある机があって、文房具が並べられていた。

誰も掃除をしないから、机には埃がかぶっていたし、じゅうたんも綺麗じゃなかった。

でも、そこにいると、なぜだか時間がとまったような気がして、たまに上がりたくなるのだった。

このブログの記事を書くときは、その、記憶の中の屋根裏部屋の、埃のかぶった机で、書き物をしているような気分に浸っている。

その屋根裏部屋は今はもうないから、どんな風にも美化できて、かえって都合が良い。

とりあえずは、埃はかぶっていなかったことにしよう。

話を戻す。

たしかに、夢を記録すると、自分が特定の人やモノ、シチュエーションに対して投影しているものが浮き彫りになってきて面白い。

まぁでも、手間もかかるし、飽きるのだ。

そんなわけで、前々から興味のあった占星術について書くことにした。

宇宙の神秘とか、脈々と受け継がれてきた秘儀とか、

古めかしいものが好きだったし、分析に没頭できるのが楽しかった。

私は、おもしろい発見があると、自分ひとりの胸にしまっておくことができないたちだ。

そのくせ、ブログにアップしてしまえば満足で、だれにも読まれなくても気にしない。

自分のことに即して書いているから、誰も興味ないだろうし、検索で訪れる人もいないだろう…と思っていたのだけど。

メインブログのトップアクセス記事よりもたくさんの人に読まれることになって、驚いた。

といっても、私はSEOを意識していないから、たかが知れているけれど。

占星術に興味のある人は、ネット人口に多いのかもしれない。

いくつか記事を書いているうちに、どういう経緯だったか忘れたのだけど、鑑定依頼がくるようになった。

依頼について、個別に応対するのも億劫だったので、「無料鑑定依頼はコチラ」的な記事を置いておいた。

そうすると、また検索で訪れる人が増えた。

そこで気づいたのは、「無料」で鑑定してほしい人はたくさんいるということ。

無料とはいえ、生年月日や出生地を明かすわけだから(時には本名も)、きっと私を信用して依頼してくれたのだろうと、今でも勝手に思っている。

だから、その信頼にこたえようと、私もできるかぎり力を尽くした。

じつは、占星術よりもタロットのほうが使用歴は長くて、しかも得意だったから、依頼はされていないけれど、タロットも使って鑑定をした。

私は、タロットはガイドとつながる手段として使っていたから、言い方は好きじゃないけど「霊感タロット」だったかもしれない。

ここだけの話、占星術の鑑定にもタロットからアドバイスをもらったりもしたから、言ってしまえば「霊感ホロスコープ鑑定」かもしれない。

荒唐無稽で笑える話。

鑑定をUPすると、お礼のメールや、うれしい感想をくれる人がほとんどだったけど、「記事UPしましたよ」メールをしてもなんの音沙汰もない人もいた。

無料鑑定も、自分のためにやっていることなんだけど、無料だからこそ、私も人間なのでやっぱりいい気はしなかった。

そこには、人と人のやりとりがあるよね…て。

そういうのもあって、もやもやするくらいならちゃんと対価をもらって割り切ろうと思って、

あと、あんまり無料でやりすぎちゃうと他の占い師の営業妨害になるかも…という思い上がりもあって、有料鑑定だけ受け付けるようにした。

それが、私の占い師ライフのはじまり。

でも、それも大して長く続かなかった。

どうしても心の奥にひっかかっていることがあったのだ。

そもそも、「運命論」を信じないたちなのだ。

運命は、絶対に自分で変えられる。

この世で変化しない唯一のものは、「万物は変化し続けること」だから。

いまここに、生まれたばかりのエネルギーがあって、

どう動いていくか、どう扱うか、どう動いていくのか…

その行く末を「夢」や「希望」と呼んでもいい。

それらはまだどんな道をたどるか、決まっていないのだ。

なのに、過去を起点にした物語にとどまっていいのか?と。

自分だけならまだしも。

他人の人生を枠にはめるような行為は許されるのだろうか?と疑問を持っていた。

それは何も占星術にかぎったことではなくて、

普段生活しているなかでも、ちょっとした会話のなかでも、

誰しも陥る可能性のあることなのだけど。

その世界だけで成り立つセオリーを

それを信じている人に読み解いてみせることは、宗教となにが違うのだろう?

たしかに占星術はその歴史上、キリスト教的世界ともつながる部分がある。

そういう意味での「宗教」ではなくて、

特定の集団のあいだでしか通用しない「思想」とか「理念」とか「価値観」とかのこと。

つまり、普遍的ではないもの。

それを、堂々と語るってどうなのよ?と思ってしまったわけだ。

んで、余談だけど、占星術の世界にいると、それもネイタルの○○の天体がこうだから…とか

説明したりもできて、抜け出すのは容易ではなかったりする。

まぁ、そんなわけで…鑑定やめますって、2016年の2月に書いた。

それからも、たまに鑑定依頼を受けることがあって、断っていた。

自分のネイタルとか、まわりの人なら差支えないことだけ、書いていこうって思った。

自分で占える人が、自分の責任において、道具として使ってほしいから。

その参考になればいいなぁと思って。

ちょっと余談になるのだけど、以前プロに「潜在意識」を読んでもらったことがある。

占星術には興味があって、いろいろ調べたりしてるような話をしたのだけど、潜在意識からのメッセージはあまりいい返事ではなかった。

「占いとかスピとかオカルト的なものじゃなくて、ひろく世の中に受け入れられるもののほうがいい」

「占星術は本場(海外)の人(魔女とか)には勝てないよ」

「星の位置はどんどん変わってるから、絶対的なものではないよ」と

至極まっとうな、足のついた助言だった。

それ以外にもいろんな話を聞かせてもらった。

今になって、あのときの会話がようやく活きてくる気がする。

私の潜在意識と、そのうしろにある集合的無意識、もっと奥にただよう普遍的な潜在意識は

すでにあのとき、「占星術はちがう」って言ってたのだ。

それが私の顕在意識にのぼってくるまで時差があって、時間をずいぶん費やしてしまったけれど。

んで、これから何を書くか?

日常のこととか、夢中になっていることとか、書いていくつもりだ。

私の記事を読んで、元気になる人がいればいい。それが理想だけど。

他人を元気にしようと思って文章を書くのは、私にはむずかしい。

だから、これからも私は、

自分の癒しのために、興味のあることを書いたり、自分の経験を書く。

だれか一人でも、そこに共感してくれたり、笑ってくれたら、二重丸。

そのくらいが、続くコツかなと思っている。

2016年11月19日

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