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【モディアノの世界】未解決のミステリーというリアリティに引き込まれる

 

初めてモディアノの本を手に取ったのは、3年前。

友人にすすめられた『八月の日曜日』を読むためにAmazonでポチった日を見たら、2013年の6月だった。

だから、彼がノーベル賞を受賞する前のことで、まだ日本人の多くがモディアノの作品はおろか名前すら知らなかった時だったと思う。

友人がなぜモディアノの作品を知っていたのかは、聞くのを忘れた。

 

パトリック・モディアノ/堀江敏幸 水声社 2003年08月
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装丁がね、美しいんだこれがまた。

 

ニースが舞台で、当時はまだニースを訪れたことがなかったので(翌年の2月に行くことになったのだけど)想像をめぐらしながら読んでいた。

南フランス、とりわけニースといえばバカンスの代名詞のような場所だし、どうしたって陽気で明るくて、楽しみに満ちたイメージがあったのだけど(実際訪れてみてもそうだった)、ニースだというのに、終始漂うメランコリックな空気感。

 

 

私たちの日常の中にもあることだけど、

 

「そういえば、あの人どうしてるかな…?」

「あのあとどうなったんだろう?」

 

っていうノスタルジーのなかに、未解決のミステリーが潜んでいて、どうもモディアノの作品ってそういうリアリティを感じるのだ。

だから、ぐっと引き込まれる。

引き込まれて、その世界に自分が生きていたのではないかと錯覚してしまう。

その中にずっと居たいと思ってしまう。

 

 

というのも、どうやらモディアノの作品は、地名や通りの名前まで実在のものを使用しているんだとか。

私が直接調べに行ったわけではないから、本当のところはわからない。

けれど、自分が住んでいた街の…1ブロックむこうに、登場人物の一人がすんでいる(いた)かもしれない…という気持ちになるのは、その「細かさ」にあるような気がする。

もちろんそれは、実在の地名うんぬんだけによるものではなくて、モディアノの描く人物像に奥行きがあるからなのだろうけれど。

 

だけど、若い私はその、じんわりとしたリアリティ…ともすればリアルすぎる感覚に、不完全燃焼を起こしてしまった。

謎が謎のまま進んでいくというリアリティは、人生をしっかり生きてきた人にはしっくりくるのだろう。

それこそが、生きている世界の常だから。

だけど、何事にも意味があると信じていて、白黒つけてスッキリさせたい未熟者(私)には、ちょっと早い価値観だった。

 

同じ本を読み返したり、以前読んだ作家の本を読んでみる、というのは自分の内面の変化に気づきやすいのかもしれない。

 

そんなわけで、3年ぶりに読んだモディアノは『失われた時のカフェで』。

2011年に刊行されているもので、こちらはパリが舞台。

10月のはじめだっただろうか、ためしにパラっと開いたらラストまで一気読みしてしまった。

単純に「謎」が気になったのも、たしかに一つの要因だけど。

 

こちらの感想は、また日を改めて書く…かも。

 

パトリック・モディアノ/平中悠一 作品社 2011年04月
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