季節の変わり目になると、着る服がない現象が起こる不思議。
服は少ないにしても物理的にはあるっちゃあるんですけど、
衣替えをして試着をするとなんだかしっくりこない。
「え、これ外に着ていくの」
「これ去年、堂々と着てたんか自分?」
「この色こんなにくすんでたっけ…」
「ダッサ!なにこの丈!ダッサ!」
ってなるw
大丈夫な年もあるんですけど、今年はダメだった。ほぼ手持ちがダメでした。
これなんでだろー?って考えてみたんです。
ダサイ服だって、そんな軽いノリで買ったわけではない。
妥協したわけではなく、
わー!これいいなー!って思って買ったし、
試着して合わせるものを思い出してみたり、
こういうものはどうせ着なくなるってパターンを思い起こしてみたり、
流行りモノには安易に飛びつかないし、
迷うものは1週間くらいクールダウン期間を設けて考えたり、
その場で自分ができるベストは尽くしてから、お迎えすることを決めた!はず!
しかし、なんでダサイのかな?
過去の自分をどれだけ讃えようと、目の前の服をダサイと思ってしまっている事実は変わらない。
そもそも「ファッション」ってもんは日本語に翻訳すれば「流行」なので、純粋に服や服飾雑貨をファッション要素抜きに選べるかといったら、いまの日本では難しい。
ファッション要素的に、月日が服をダサくしてしまった(ダサく思わせてしまった)パターンもあり得なくはない。
流行要素の入りにくいマジもんの防寒具、雨具や雪の日用の靴とか、そういうものに対してはあまりそういう感情にはならないもんなぁ。(単純に飽きることはあれど)
んで、
「着る服がない現象」によってあぶり出された洋服たちと一つ一つ向き合ってみた結果
といったパターンのものだったな…。
「着る服がない現象」はあんまり遭遇したくないのですが
間に合わせで買わないようにする、というのは出来るようで出来ないことだったりします。
冠婚葬祭、急にスーツが必要になる、忙しくしているうちにイベントの日が近づいてきた、とか
さすがに喪服は持っていますが、その他のイベントごとにすぐに対応できる衣装があるわけではない…。
こういう間に合わせで買ったものは大抵、クローゼットで眠った後メルカリで売るはめに…。
役目を終えたということで、仕方ないと割り切った方がいいのだろうか。
「傷み」に関しては面白いなと思うのだけど、シーズン中は全く気にならなかったのに、しばらくぶりに目にすると、毛玉やヨレが気になるってのはあるあるなんだろうな…。
慣れの問題なのか?思い出補正なのか?
シーズンはじめは衣替えよりも早く、ネットや店頭で真新しいピカピカの服を目にする機会があるからなのか?
まぁ、着る前に「傷み」に気づけたのでよかったと思えばいいのかなー。
私的に一番大きいなと思うのが、買ったばかり補正。
実際1年、2年と頑張れるものもあるんだけど、やっぱり気持ちがダメになっちゃうんだよね。
お店で見たときは大丈夫だったのになー、家に帰って着たらあれなんか違う?いや違わない?大丈夫大丈夫!の魔法が解けるみたいな…。
流行ど真ん中ってわけじゃなくても、新しいアイテムってそれだけでコーディネートが決まるし、ごり押しできちゃうところがあるのかもしれないなー。
なんとなく、なんか違うなーって服がほとんどな気がする。見抜けないし、ごり押しで着ているうちに傷んでくるから余計になんか違うってなりがち。
たまに何年も着られる(着心地良くて、身体に合ってて、お手入れしやすい)ものに出会えるととても嬉しい!
そういうものを増やしていきたいなーと思うのでありました。