良心に反するので、占い系の記事は非公開にしましたよ

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占星術(ホロスコープ)、タロット記事を非公開にしました。

我ながら極端だなぁとは思うんですけど、やっぱり誤解を生みそうなもの(しかももう自分は信じていない世界のもの)をワールドワイドに垂れ流すのは良心に反するのでw

 

もちろん、私自身がそれらの記事を書いていたときは100%の善意で書いていました。

だから、負の遺産もふくめて「軌跡」として残しておいても良かったのかなぁとも思っており、ちょっとばかし考え中です。。

とりあえずは、非公開で。

サンプルとして研究に使いたいという人がいましたら、お問合せフォームよりメールください。

 

占星術記事を残すことのメリットといえば、占星術を勉強している人の参考になるかもしれないということ、ブログへのアクセスUP、一人の人間の成長(または転落?)記録をサンプルとして観察できる、とかそんなもんかなぁ…。

デメリットは、占いという底なし沼に人々を招き入れ、堂々巡りの人生を歩ませてしまうかもしれない、人々の思考を因果(応報)論漬けにしてしまう、異なる性質のものと分断を生んでしまう、などなど数え上げるときりがないwww

(実は、「輪廻」すらないのでは?と最近思い始めてるよ。でもそれは、また別の機会に書きます)

 

たとえば、高い精神性を持ち、聡明で視野の広い人で、占星術を哲学や思索のきっかけとして使うのはアリだと思っております。

物事が(恣意的ではあれど)体系だっていて、哲学するのに使い勝手が良いんですよね。

他人に込み入ったことを説明をするときも、何かを理解するときも、論理の組み立てかたとか、占星術のハウス理論とか役に立つんですよw

 

だけど、一歩間違えれば限定的、独善的、排他的なものになってしまう。

自分を慰めるだけのツールになりさがってしまうのだ…。

まぁ使う人によってどうとでもなるのは、何においても同じなのだけど、占いってもんは「オカルト」なので「利用」と一筋縄ではいかないから恐ろしい。

 

 

ひとそれぞれ、生きている世界は本当に違うなぁと最近ひしひしと感じております。

ほら、なんか二元論とかどんどん光と闇で分断されていくとか言っている人がいますけど、さもありなんという感覚です。

 

自分の中ではどんどん光と闇の統合が進んでいく。反対に外側の世界では、自分が属する世界以外のものがだんだん見えなくなってくる。

これが、スピでいうアセンションできた人とできなかった人の理論だけど、そういったカルトめいた選民的なものではなくて、「自分が良しと判断している世界」のことです。

 

同じ三次元で生きていても、属する世界以外の人とはほとんど関わらないようになってきていて、変な奴だなーて思う人(相手もそう思ってるんだろうなw)はたまに来てもお互いに違和感があるからすぐ離れちゃう。

 

これって別にスピリチャルだけが説明できる問題ではなくて、グローバル化した世界だからそれができるんですよね。

大きくいえば国家、小さくいえば村や会社などのローカル社会。共同体(=コミュニティ)を出たり入ったりすることがしやすくなったというのが大きいです。

必要に応じて即時的に共同体(サークルとかグループ)ができたり組みなおしたりできる世界になったから、「自分が是とする世界」だけに属して生きていけるようになってきたんですよね。

会社も終身雇用の時代は終わったし、海外も気軽に行けるようになったし。(といってもリスクも同時に想定しなければならないけれど)

別にもったいぶって、スピリチュアルに説明してもらわなくてもいい問題だったりするww

 

 

まぁ何が言いたいかというと、「自分が信じたいものが善とされている世界で生きる」自由があるのが現代社会なのです。

自由は権利なので、当然義務がセットです。どの共同体に属してもいいけど、その共同体での義務を果たさないとメンバーではいられません。

税金を納めたり、その社会での慣習ルールに反しない生き方をするとか。あ、そもそも、何をもってして自由と呼ぶかも人それぞれですけども。

 

人間なんて、集団じゃないと生きられないからまとまって助け合っているだけで、別にそんな必要がなかったら「一人サイコー」ってなるでしょw

でも社会に属していないと生きられない。属してなかったら、原始的な狩猟採集して暮らすしかないから。

本当の意味で、生きるだけで精一杯になっちゃうから。

「自立」とはいえ、インフラが整ってて、誰かが食べ物を売ってくれる世界に生きるっていうのは、なんかしらの共同体に属さなきゃいけないし、資本主義社会だからこそそれができるわけであって…。

 

 

んで、それが占いになにが関係あるかっていうと…その共同体によって「占い」でもなんでも「道具」の扱い方や認識の仕方が違っていて、似たような認識を持っていても利用の仕方が全くちがう世界もあります。

すんごい乱暴な言い方をしますけど、占いをする人たちのなかでも、一般人と共存できる論理的な人たちと、うわ!ムリ!うさんくさい!っていう人がいるようにだな…w

私はもう占いはしたくないけど、占いをする人を全部否定するわけではないってことはわかってもらえたらと思います。

 

というよりもう、否定してるうち理解を示しているうち考えているうちはまだ半分そっちの世界にいるってことで、そういう話をしなくなったらば「住む世界が違う」ところまで行けたということですね。

だからといってムリに避けもしないし、自分の今まで培った知識が役に立つのならば力をお貸ししたいと考えております。そう、自分の良心に反しないかぎりはw

なので、まだまだ変化の途上ということで、中途半端な部分もあってモヤモヤしつつなのであります。

 

ぐだぐだ書きましたが、「占い」を共通ルールという前提のもとに成り立つ「世界」で生きるのは辞めてみた、ということです。

占星術を是とする世界で生きるのもアリだし、例えば逆説的ですけど究極言ってしまえば「トランサタニアンの意志」をもうそのまま体現しちゃってる人からすれば占星術なんて別になくたって、呼吸をするがごとく「幸運」に生きられるわけですよね。

私に関してはとりあえず、自分には必要ないって思っただけであって、そっち側にいるのよ(ドヤなんて思ってませんけどねww

 

そんなかんじです。