果たして、計3年だったかは定かではないけれど、ざっとそのくらい通った。
美容院ジプシーだった私も、ようやく一つのところに納まって、毎回ホットペッパービューティーでサロン検索をする煩わしさから解放されたと思っていた。
そもそもなぜ、その美容院(以下、Aとする)に「通う」ことにしたかというと、実はマイナスな表現になってしまうのだけど、今まで美容院での仕上がりに満足した経験がなかったのだ。
そのA美容院は、もしかすると、自分の期待以上の仕上がりになった初めての美容院だったかもしれない。
私にとっては、奇跡的な出来事だった。
若い頃は美容にお金をかけるという発想がなかったので、チープで手頃感のある店に行っていた。
全部が悪いというわけではないが、チープなお店は接客も腕もそれなりで、こちらが嫌な思いをすることもある。
よほど鬱憤が溜まっているのか、オーダーの仕方や普段のスタイリングについて喧嘩腰になって批判してくる人もいた。
対して、ある程度しっかりお金をとるところは、仕上がりはまずまずでも接客が悪いということは滅多にない。
というのも、仕上がりというのは、こちらがしっかりと要望を伝えられているかどうか、意思疎通ができているかどうかも、技術同様に重要だからだ。
どんなに技術のある美容師さんでも、お客さんの要望がはっきりしなければ、力を100パーセント発揮することは難しい。
私は東京で生まれ、一時期近郊の県にいたけれど、社会人になってからはまた東京に住んでいたので、東京のいろんなタイプの美容院に訪れたことになる。
いわゆる激戦区と言われる原宿、表参道、青山あたりの美容院にもいくつか行った。
セットだけだったり、ご縁で一回きりだったり、そういうところも多い。
あくまでも主観でしか言えないけど、やはり競争率の高い地域はレベルが高い。
だけど、ちょっと外れたところや、コンセプトにこだわりのなさそうなところ、客層を選んでなさそうなところ、などはハズレもあると感じた。
で、前述のA美容院。
技術に満足したのはもちろんで、その技術力を支えているのは彼自身のプロ意識だろうというのが伝わってきた。
店のコンセプトと私の美容に対する嗜好が合っていたことも、大きい。
では、なぜ突然通うのをやめたのか。
「突然」に見えるかもしれないが、今思えば私が美容院を変える「兆候」はいくつかあった。
多くの客は、思いもしないところで不満をためてゆき、決定的なことがあれば何も言わずに去ってゆく。
私も、同じように些細なことだが不快に感じることがあって、それは本当に些細なことの積み重なりなのだけど、「スイッチ」が押された時に反応するくらいは積もっていたんだと思う。
その「不満」「不快」は、技術面ではなく、接客でもなく、また別の部分。
とても厳しい見方かもしれないけれど、お店そのものの「素行」のようなもの。
ざっくりいうと、技術や、「テクニックとしての接客」は完璧だけど、本来の感覚がちょっとガサツなのだなというのが見えてしまったのだ。
それも、その感覚を微塵もおかしいと感じていない、というのが行動で見て取れてしまった。
平素大きなことを言いながら、私なんぞに気づかれたあたりが、なんか残念に見えた。
ちょっとずつちょっとずつ感じていたことだけど、「決定的なこと」があるまでちゃんと気がつかなかったのだ…。
見ないふりをしていたのかもしれない。
また美容院を探し直さなければならないことが億劫で、気づかないふり。
一から関係を築いて、自分の好みを知ってもらって、美容師さんの方向性に合わなかったり、合っていても技術に満足できなければまた違うところに行って…という煩わしさから逃れるために、しがみついていたのかもしれない。
もう行くのやめようと決めてからも、技術力で満足できる美容師さんなんて滅多に見つからないよ…と思っていたし。
だから、このくらい我慢しよう、っていうのが無意識に働いていたんだな。
なんかあれだね、仕事や恋愛でもよく聞く話だねw
で、結果、さくーっと次の美容院は決まったので、何も悩むことはなかった。
仕上がりも、大満足だったよ。
ちなみに、その「決定的なこと」を苦言として伝えて、今後も通うという選択肢はなかったわけではない。
けれど、店がそこで「よし」として提供したものだから、それが私に合わないならその店の客をやめるのは真っ当かなと思ったわけだ。
同業ではないが似たような客商売をしている人に意見を尋ねたら、「それやったらお客さんに嫌われちゃうから私だったらやらない」と言っていた。
とりあえず、私の独りよがりではないという保身のために書いておくw
まぁ引越しのタイミングで、物理的に通えなくなるという理由で自分を納得させてもよかったんだけど、
内面で引っかかっていた部分とか、自主性とかを考えると、自分の気持ちを確認できてよかった。
物事が移り変わる時は、どこかしらに変化が伴っているはずだからね。
人間誰しも、自分の都合とか、欲とか、そういうもののために直感や判断力が鈍るということはよくある。
わかっちゃいるけど〜な心理。人間らしさともいうw
それを再認識した一件でした。