興味のあるところから読みかじりしても楽しい『魅了されたニューロン 脳と音楽をめぐる対話』

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言われてみれば確かにそうなんだけど、言われるまで気づかなかったこと。

無知であることを知るという意味では、「見えてなかった」部分を知覚する…まさに「目から鱗」って表現になるんだけど、同時に知らない間に色眼鏡をつけて世の中を見ていたんだなと気づかされたような気持ちです。

 

個人的に最近のそれが、

『魅了されたニューロン 脳と音楽をめぐる対話』という本を読んで思ったこと

で、恥ずかしながらだいぶ前に購入したけれど私のアホな脳みそのキャパでは追いつかなくて積読状態になっていたのです。

先日、最近脳科学に興味があるという家族から、この本を貸して欲しいと申し出があったので、重い腰をあげて読み進めたところなのです。

理解の追いつかない部分は文章を目だけで追って、興味深く集中できる部分はじっくり読んで、という「読みかじり」をすることにしました。

後日、もしかしたら後年読んだ時に、ああこれはこういうことだったのか!と知ることができたら、それはそれで面白い。

私にとっては、冒頭の感覚をつかめただけでも、読んだ価値はあったと思いました。

実は、半分読んだくらいでそう思えたので、記事にしようと書き始めました。

 

ピエール・ブーレーズ/J.-P. シャンジュー 法政大学出版局 2017年08月28日頃
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どんな本なのか

この本では、指揮者、神経生物学者、作曲家といった専門家によって、音楽(その他の芸術も)についての「謎」を対話形式で解き明かそうとしています。

訳者自身も音楽博士という、なんとも頼もしいタッグ。

 

帯に、序文の抜粋があるので、引用します。

創造している際に、創造者、作曲家の頭の中で生じることは、未だ未知のままにとどまっている。

本書が解明しようとするのは、まさにその「神秘」である。

 

……音楽とは何か?芸術作品とは何か?

芸術作品の創造のメカニズムとは何か?美とは何か?

といった本書で取り上げられている幾つかの問いは、

芸術に関する新しい神経科学を形成するという

前代未聞の試みに踏み入れることができる。

 

テーマ(主題)や大筋として語られるものももちろんなんですけど、ちょこっと解説されるような題材も、知的好奇心のくすぐられる題材がたくさんあるんです。

 

人間の脳は、どうして音楽を音楽と認知できるのだろう?

ただの雑音と、芸術の違いはなんだろう?

作曲している時、演奏している時や、聴いている(または聞いている)時に、脳の中のどの部分が活性化しているのだろう?

視覚的に入ってくるモノと、想像したモノが同じ場合、脳の動きには違いがあるのか?

芸術家の頭の中が「進化」していくとは?

などなど…

 

とくに、身につまされたと感じた部分が

 

芸術における「神」とは?

という対話。

そんなに長いパートではないんですけど、個人的に印象が深かったです。

 

神ってなんだろうねという話をする時、科学的な側面からのアプローチをすると、まず人間の知覚できる範囲のものは、とても限られているという前提を認識しなければならない。

人間が聞こえる範囲のもの、人間が見える範囲のもの、人間がニオイを感知できるもの、っていうのをやすやすと超えてやりとりをしている動物(コウモリとか犬とか)が存在していて、そのことはもう現代では周知の事実。

と、いうことが書いてあって、

 

であれば、仮に万物を想像したという神というものを表現する時、我々が知覚できる範囲のものだけで表されることは可能なのだろうか?

それは私たちが(自分たちの知覚において)神だと信じるものを、表現しているにすぎないのではないか?

動物においてはどうなのだろう?

人間が作ったもので神を感じるのは結構だけど、果たしてそれは「本当の神」なのだろうか?という疑問は生じますよね。

 

私も前に、そんなこと考えもせずに「神」だとかなんだとか絡めていくつか音楽についての記事を書いていました。

シロウトの、いわゆる「音楽的な教養」のない人間の肌感覚によるたわごとなので、実際に脳波を測ったりしたらどんな結果が出るかはわからないんですけど、私はこんな感じだよーというのを記録しただけなのですが…

それは前提としても、じゃあ、音楽に「神」を見出すという行為ってなんなのだろう?って深く考えてもなかったな、と気づかされたのです。

 

単なる感覚っていうのがミソで、どこかで聞いたとか、どこかで読んだとか、神とされるものと関連づけられて覚えたとか、何かしらの後天的な刷り込みがなかったとは言えないんですよね。

(話はちょっと逸れるけど、「前世退行催眠」なんてのも、記憶にないのに語り出したということがあるようですけど、ずーっと昔、子供の時や集中してないときにちらーっと見たような映像やお話が潜在意識に残っているだけだったと言われたら、否定はできないと思うんです。ただ、それがなんであれ、いわゆる本人の「トラウマ」と関係があって、解消できて生きやすくなるというのなら、セラピーとしての効果があるとは言えるのかもしれませんが。「脳」とか「記憶」とかの本とかちゃんと読んでいくと、語り出す内容は疑わしいのかな…と感じてしまうんです。)

 

ま、どちらにしろ、脳みそが「神」だと認識して、神秘を感じたり、厳かな気持ちになって、癒されるならそれはそれでいいんでないかと思いますけどw

少なくとも私自身が神を語るには、人間の知覚の範囲内でどうこういうのはおこがましいような気はしてきてしまいました。(他の人が芸術作品を生み出すことに関しては思ってないです)

 

同じく、ハッとさせられたのは

 

美的感覚について

私たちは、そう望もうが”望むまいが”、私たちの時代に「有効な」美的価値や規範の従属者です。

という一文。

確かに、言われてみればそうなんですけど、すっかり忘れてしまって生活しているなぁと気づかされました。

「あ、なんかいいな」と感じる、何となく心地よいとか、高揚感、リラックスもしくは元気になるだとか、そういう「効果」すらであれば、もうもはやまっさらな状態で芸術作品に向き合うことなんてできないのではないだろうか…。

自分がつくる場合においても、鑑賞する場合においても。

自分の「感覚」は絶対的なものではないというのは分かっていたつもりだけれど、もっともっと思ったよりも狭すぎるくらいの世界で知覚しているのだろうなと再認識しました。

いろんなジャンルのものを見聞きするとかそういう次元じゃなかったなと。

 

また、脳の「報酬の先取り」についても語られているのですが、「良さそうなフレーズだ、これから続くのはいい作品に違いない」というワクワク感は、音楽においてもそうだし、小説でも冒頭でぐっと引き込まれる作品がありますよね。

そういう人々を「惹きつける」ものも、私たちが共有している「美的価値」によるものの一つなんだろうなと思います。

創作をする人にはヒントになるのではないだろうか。

 

クレーの講義

これ、同じくハッとしたところです。

クレーって、実は私の好きな作家の一人なので、本の中で言及されていてびっくりしたのですが、実はこの本の表示の絵もクレーのものだったんですよね。

気づかずに手に取っていた…これも脳の(潜在意識の)機能のなせるわざなのかw

カレンダーで毎日見ているはずなのに気づかなかった!

 

その講義は、円と直線を用いた絵を描きなさいというもので、みんな円と直線をただ配置しただけのものを描いたということなんですけれど…

それらを「関係性」として考えてみれば、円と直線が交わる時に例えば、円に線(棒)の圧力がかかって凹んだり、引っ張られたりするようなものが表現できるってことなんですね。

私がちゃんと意図を汲めているかはわかりませんけれど、クレーの絵を見る時に意識が変わったのは確かだし、

何かと何かを用いてっていうのはただ、並べるだけじゃないんだな…って単純に気づかされた一節だったんです。

特に、普段絵を描いているわけではないのですけれど、意識のあり方の問題というか。

それを作曲に生かすも、ほかの創作に生かすも人それぞれなわけです。

 

こんな感じで、ちょっとしたところに、気づきが散りばめられている本でした。

 

 

 

そのほかにも、楽器を演奏する人とそう出ない人は音楽を聴いた時に活性化する脳の部分が違うとか、子供の絵や音楽は芸術ではなく「複製の欲求」や「コミュニケーション」であるとの見解も興味深く読みました。

専門家にとっては違うかもしれないし、本にまとめた方の意図からも違うかもしれないんですけど、読む人にとって気づきのある部分が違うのかもしれません。

またいつか時間が経ってから読み返したら、新たな発見がありそうで楽しみです。

 

ピエール・ブーレーズ/J.-P. シャンジュー 法政大学出版局 2017年08月28日頃
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